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(3)人生の基本価値観を求めて――既存宗教は?
2012年09月20日
さらにリーマンショックをはじめとするここ数年の不況に加えて、去年の東日本大震災によって、「人間の営みなんて、自然災害の前にはもろくも崩れるものだ」「仕事もお金も住処も、最愛の家族も一挙になくしたら、何をよりどころに生きていけばいいのか。そもそも生き続ける意味があるのか」といった究極の問いを、被災地だけでなく全国の人が切実に考えざるを得なくなったことでしょう。
だからこそここ1-2年、ニーチェなど哲学者の言葉を書いた本や、『夜と霧』(ユダヤ人である精神科医が、ナチスの強制収容所で生き延びた体験をつづった名著)が新版として出され、いずれもよく読まれているのでしょう。
また、おりしも数年前から、団塊の世代の定年退職者が急激に増えたことも「残りの人生の意義、価値観をよく考えてみたい」という人が増えた要因と考えられます。
実際この世代は、夫婦でお遍路めぐりなどする人も多いと聞きます。
既存宗教の良いところは、信者が知識を得たり、気持ちを安定させたり、達成感を得られやすいよう環境や仕組みが用意されていることです。
例えばお遍路ならお寺で一つずつお札をもらう。
また道中歩き続けるという、現代都市生活者にとっては慣れないことをして、ある程度体に負担をかけることで感覚に意識が向き普段ほど頭の中の悩みにはまらなくなること、自然豊かな土地の気候や人々に触れ気分転換になること・・・などです。
あるいは、どの宗教でも用意されている、「こんな言動をすれば死後天国に、悪いことをすれば地獄に行く」(もちろん、用語はその宗教でそれぞれですが)といった、明確なガイドラインの存在。
(そのような明確な基準があるからこそ、昔からキリスト教ではホスピス(緩和ケア)病棟が普及し、死が近い患者を牧師やシスターが支えるという形が普及したといえます。このような基準がないところでは、患者と死の話題を持つことにスタッフも耐えられなくなるからです。)
こうしたものにすんなりなじめるのなら、既存宗教は非常に大きな支えになります。
そして世界の大半の国民は、(細かな宗派の違いはあるにせよ)大体仏教・キリスト教・イスラム教といったメジャーな宗教を信じ、それを基礎にした人生設計をしています。
しかしいい年の大人になるまで特にこれといった宗教教育を受けずに育った人が、特定の宗教を丸ごと信じられるようになるのは、必ずしも容易ではないことも多いでしょう。
特に、ダーウィンの進化論や、コペルニクスの地動説を教科書で学んだ世代が、それらに反するような「非科学的」(と思われる)従来宗教の教えをそのまま肯定するのは、なかなか難しいかもしれません。
その上、キリスト教とイスラム教の長引く国際戦争、いやそれどころかキリスト教同士、イスラム教同士の血で血を洗うようなニュースを日々視聴していると、「変に入信したら狂信的になって常識も失い、普通の社会人としてやっていけなくなるのでは?」という不安を感じる人も少なくないかもしれません。
こうしたことを考えると、「既存宗教も、オウムをはじめとする新興宗教も危なっかしくて近寄りたくない、でも物品やお金、名声といったものではなく心から納得できる、根拠となる価値観を持ちたい」と考えるようになるのは、自然なことに思います。
そこで手始めに様々な心理学や哲学書、あるいは精神世界の本を手に取るようになるわけです。
書いた人 浜野ゆり : 2012年09月20日 07:03