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(2)人生の基本価値観を求めて――なぜあなたは不幸なのか

2012年09月19日

あの恐ろしいオウム事件の後でさえ、名称変更したオウムの関連組織に入信したり、そうした教えに惹かれる若者が後を絶たないのは、人生の価値観を何に置いたら良いのか、生まれてきた目的とは何か、といった根源的な疑問に答える仕組みが他にあまりないためでしょう。


世界の大半の国民が、その国で「信じているのが普通」という宗教を持つのに対して、日本では特定の宗教の信徒であるという人は少ない。
もちろん生まれた家の仏教の宗派が決まっていて、代々法事は特定のお寺で・・・というのはあっても、基本的には仏教なら仏教の教えをきちんと(親や学校から)学び、日々祈りをはじめとする活動をし、教えの基準に従った言動を心がける・・・といった精神生活を送っている日本人は少数派ではないでしょうか。


日本人にとっては宗教は信仰というより風習や文化の一部。
だからこそ、家に仏壇があってお盆には墓参りするのに、年始には初詣でし、12月にはクリスマスパーティを、何の違和感もなく行えるのです。


宗教は人生における「枠組み」ですから、いろいろとうるさい縛りにもなります。
しかし一方で、「今生で試練を体験する理由」や「死後どうなるのか」といった人生最大のテーマにはその宗教なりの答えが用意されており、信者はそれを信じさえすれば、どう考え行動すれば良いかといった羅針盤は手に入れられるので、気持ちが安定します。迷わなくなります。


また、例えばキリスト教なら教会が、宗教を介した強力な地域コミュニティになり、落ち込みや不安に見舞われているときも神父さんに話を聞いてもらえたり、信者同士で慰めてもらったり、ボランティア活動をして人の役に立つことで自分の気持ちも救われることも多いものです。


しかし全くそうした「基本的価値観」が定まっていない社会で育つと、微妙な善悪の判断も、自分や他者をどう見るかも、日々何を目標・目的に生きていくかも、人生で何を達成すべきかも全て自分で考えなくてはなりません。


たまたま親や学校の先生など、身近な人がそうした方面で聡明で、良い助言を折に触れてもらえるような環境にでもいない限り、これはとても大きな負担になります。


(従来の日本では、宗教の代わりに「世間体」といった地域社会の監視の目があり、これが言動の基準として強力だったので、必ずしも宗教がなくても迷うことはなかったのですが、第二次世界大戦後はこの基準も大幅に弱まりました。
それでも、「個人が主人公」という欧米よりはまだ世間体が残っており、しかし従来より中途半端な強さで選択の余地が残される分、昔よりも個人の心理的葛藤は強いでしょう。)

大阪大学の大規模研究にて、アメリカ人に比べ日本人は不幸であるという結果をまとめた「なぜあなたは不幸なのか」や「幸福の経済学」という結果が発表されています。


これは2004年に大阪大学が6000人という大規模な日本人集団を対象に行った調査をまとめた報告書で、他の機関がアメリカやヨーロッパで同様の調査をしたものと比較しています。


これによると、
・アメリカ人は年齢が上がるほどに幸福度が増すのに対して、日本人は30代をピークに減少してしまい、高齢になるほど不幸になる
・宗教を熱心に信仰している人ほど、幸福度が大きい
ことが示されています。


欧米に続き日本もどんどん高齢化社会になってきて、以前はまだまだタブー視されていた「緩和ケア」(末期がんなどで余命数ヶ月の患者に対し、治療目的ではなく痛み(身体的、精神的)を癒すことを目的としたもの)や、「余計な延命医療を逃れいかに自宅で安らかに死ぬか」「生前に自分の遺言を書いておこう」といったテーマの本が軒並み良く売れています。


誰にでも確実に迫りくる死から、これまでのように目を背けて目の前の娯楽や仕事に紛らわせるのではなく、そろそろ正面から向き合おうという機運が、ようやく日本でも育ちつつあるのでしょう。

書いた人 浜野ゆり : 2012年09月19日 07:02