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どこまでポジティブに考えられるか?(1)
2011年09月29日
納税額日本一を何年も樹立し、累積納税額も日本一である斎藤一人氏のことは、多くの方が知っていると思いますが、私はこれまで、この人の本やCDなどは、それほど読んだり聞いたりはしていませんでした。
幸福への法則はシンプルなので、精神世界に興味を持った人は誰でも、自分がその時最も取っつきやすい著者の本や、タイミング良く参加できたセミナーや・・・そうしたきっかけで、そのシンプルな原則に最初に接触することになります。
私の場合は、それが主にサネヤ・ロウマンらでした。
しかし最近、ふとしたきっかけで斎藤氏の『千年たってもいい話』などを聞くようになり、これまでにないペースで斎藤本を買い集めています。
ただ、内容自体はやはり大方既に知っていることであり、今回は印刷された文字よりも氏の声が録音された話を聞くことが心地よいので、現在の私には彼の「声のエネルギー」が必要であり、フィットしているということなのでしょう。
また、彼は(本人いわく)「中学をようやく卒業しただけの学歴」とのことですが、その話のユーモアのセンスには感銘を受けます。
聞いていて、毎回のように笑えます。
それとサネヤ氏がアメリカ人なのに対し、斎藤氏は日本人(しかも結構長く人生を生きてきた)なので、ここ数十年の経済の動きを、特に日本がどういう流れで来たかを「魂の視点」から見て解説してくれるのが特長です。
2009年正月明けの講演をまとめた『この不況で損をする人、得をする人』が、特にこの点にポイントを絞っており、いろいろ考えさせられます。
その講演の内容をあえて一言でまとめるなら
1.鎖国を開国して以来、第二次世界大戦以後しばらくまでは、日本は諸外国から知識を輸入するために、知識(学歴)のある頭の良い人(エリート)を求め、それ以外の多数の民衆は、均一な仕事を真面目にすることが最大の価値で、そのため没個性が良しとされた。
2.第二次大戦後日本が技術や経済力を持つようになると、アメリカがもはや以前のようにただ同然で教えてくれなくなったので、日本も自分で新たなことを生み出す必要が出てきた。
このため、「個性的」であることが最大の価値になり、個性的なら人格的に問題があっても構わないとされるようになった。
(「芸のためなら女房も泣かす」のような世界)
3.しかし日本も成長期が終わり円熟期/停滞期に入った現在、ようやく「心/魂が優れている人」が求められるようになった。
となります。
そして魂の優れている人とは、集約すると「いつどんな状況下でも感謝のネタを見つけられる人」。
例えば(以下の例は、斎藤氏の話から、よりまとめやすくするために多少題材を変更しているものもあります)
1)出かけようとした時に、靴のヒールが取れてしまった
2)道を歩いていたら、肩に鳥のフンが落ちてきた
3)部長に雷を落とされた
4)就職したら、辛い肉体労働で、冷たい雨の中 重い荷物を運ぶので肩や腰が痛くてしょうがない
5)山で遭難した
次回の記事では、上記の例の一部について、いかに感謝の理由を見つけるか(=いかにポジティブに考えるか)を解説したいと思います。
なお、「ポジティブ思考」を批判的に見る人々もいます。
それは彼らが、「真のポジティブ思考」と「偽物のポジティブ思考」を混同しているためですが、それについても次回以降で述べようと思います。
書いた人 浜野ゆり : 2011年09月29日 10:14