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雑念さえも格調高く…

2009年01月16日

2-3年前まで、ちょくちょく目白の先生の所で行なわれていた瞑想セミナーに参加していました。
かなりシステマティックな手法で、最初、順番や名称を覚えるまでは「こうだっけ?」というのもありましたが、慣れると半ば自動的に瞑想に入れるため、かなり使い勝手が良いです。
この瞑想の基礎を学ぶために半年余りかかったと思いますが、その過程でかなり心が安定し、今や私の一番のストレス解消法になっているほどです。


さてセミナーでは、瞑想の技法については決まった手順にのっとって教わるのですが、その合間に先生がちょっとしたコツを話してくれます。
それは感情面の持って行き方や優先順位など、余談のようでありながら、ベテランの先生の経験を通してこそ得られた、テキストには載っていない貴重なポイントです。


その一つが
「普段から良い芸術等に触れておくと、雑念にもあまり邪魔されなくなる」
というもの。


瞑想は普通、数分から数十分の間行います。
多くの人がイメージする「山寺で、座布団の上に脚を組んで座禅」というのもオーソドックスな形ではありますが、今時の瞑想の大部分はもっと身近で、椅子に座ったりベッドに横たわって行なってOK。
そのセミナーでも椅子に普通に座って行います。


それにしても一定時間、身体は動かさず心だけ内面に集中する必要がありますが、人の心というのは放っておくととりとめもなく次々といつのまにか考えごとをしています。
それはしばしば、脈絡がなかったり、過去の嫌な出来事への後悔を繰り返したり、将来への不安について堂々巡りを続け、すっかり気分が落ち込んだりしがちです。
瞑想とはこの無秩序な思考の流れをコントロールし、より自分の心が安らぐようなことを考えたり感じたりするようにもっていくメンタルトレーニングなのです。


ただし、あちこちにさまよい出て無関係なことを考えるのは心の本来の性質なので、雑念はどうしても浮んできます。
だから雑念が出ること自体は止められないし、出てしまう自分を未熟者として責める必要もありません。
トレーニング初心者と達人の差とは、雑念が出てきたときにすぐに気づくこと、そして雑念内容に引き込まれず冷静に、かつ速やかに元の(集中したい内容の)思考に戻ることなのです。


さてこの雑念ですが、当然普段の本人の体験や思考や、価値観が反映されます。
だからこそ、日頃から自分が感動できたり、楽しく感じるような質の良い体験を蓄積しておくことが、雑念が出てきてもそれに心が乱されにくくなくなるコツの一つなのです。


そのことについて、先日実感することがありました。
去年の大晦日、引越し後の荷物を一通り片付けたところで、夕食後少しゆっくりする時間が取れました。
当然、テレビの紅白歌合戦が始まっていましたが、個人的にはあまり興味なく、かといって格闘技を見る気にもなれません。
そこで相棒の提案で、バレエ「白鳥の湖」を見ることにしました。


相棒がもう20年も前にテレビから録画したもので、今のDVDやプレイヤーの技術と比べるとむろんいろいろと差がありますが、あの作品が名作であるゆえんが、とても実感できました。
実は私はいわゆる「舞台もの」の世界にはこれまでなかなか入り込めず、バレエやミュージカルなどもほとんど見ることなくきており、白鳥の湖についてもちゃんとしたストーリーさえ把握していなかったのですが、相棒が随時解説をしてくれたおかげで、予想に反してかなり入れ込み、最後まで鑑賞できました。


そしてその夜、床に入る時。
部屋の明かりを消した頃から、あの有名なテーマ曲が、オーボエの旋律もはっきりと繰り返し聞こえてきたのです。
そして脳裡には、月光に照らされた夜の湖で舞う、優雅な白い影のごとき白鳥たちのシーンが…。
おかげで、頭の中に響く「バーチャルBGM」を聴きながら、安らかに大晦日の眠りに入れたのでした。


もしも観たものがホラー映画やバイオレンスものだったら、やはりその中のシーンや音が繰り返し想起されるわけで…。
瞑想するときにも眠りに就くときや夢を見ているときと似た意識状態になりますから、やはりそうした内容が出てきやすくなってしまうのだなあ、と切に感じたのでした。


大人でさえこうですから、成長過程にある子供ならなおのこと、普段接し見聞することが人格形成にリアルに影響を与えることになります。
改めて、情操教育って本当に大切だな、と思いました。

書いた人 浜野ゆり : 2009年01月16日 09:38