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好きなキャラは?
2007年09月13日
皆さんは誰かの「ファン」ですか?
スポーツチームや個別の選手、アーチスト、タレント、小説や映画やアニメの登場人物…そうした中で特に強く惹かれる人物がいる場合、自分の「憧れ」や「果たせなかった夢」をその対象に託しているのです。
これは心理学的には「自己愛の投影」といわれるもので、自分がこれまで強く惹かれたキャラクターたちを思い起こしてみると、自分がどのような憧れや理想像を持っているのかが、改めてよくわかって面白いものです。
よくあるのはやはり、プロ野球のチームですね。
地元チームの活躍が、イコール自分の自己愛を高揚させてくれるので、試合に勝った日は上機嫌になれますが、負けると不機嫌になる。それで他人や仕事にあたったりさえする…考えてみればとても不合理なものですが、チームと自分を内面で同一視しているので、そんなことになるのです。
一方で以前、東京人なのに日本ハムの熱烈なファンという人がいました。
この場合には、この人は日ハムの性質のどこかに強く惹かれ、自己投影していたことになります。
この人に詳細を聞いたことはなかったのですが、推測するならば、「地元(当時はまだ関東にチームが在籍中でした)にあまり受け入れられず、強くもないが、チームの皆で真面目にがんばっている」といった点に自分との共通項を見出していたと思われます(この人は職場での対人緊張が強く人と馴染めず、自己評価の低い人でした)。
また、女性の中には『風と共に去りぬ』のヒロイン、スカーレット・オハラが大好き、憧れる、という人も少なくありませんが、日本の精神分析学の父、小此木啓吾先生によれば、彼女はかなりの自己愛性人格障害と考えられます。
つまり、物事を万事、自分の都合の良いようにだけ解釈し、本来だったら落ち込んだり悲しんだりするのが自然な場面でその事実を否認し、逆にハイテンションな自分へと駆り立てます(これを「躁的防衛」といい、人がネガティブな感情に耐えかねた時の反応の一種です)。
しかしこのおかげで、表面的には「逆境にもめげずいつも前向き」な言動をするので、そのような彼女の行動力に憧れる女性が多い、というわけです。
そうして、彼女に自己投影する女性はやはり、自己顕示欲が強かったり、あるいは「そうなれたら良いのに」と感じている人たち、ということになります。
男性の場合、普段学校や会社という集団の中にいて、勉強・スポーツ・人気といった面であまりぱっとしない場合に、力強い戦国武将の小説を読んだり、一流大学の有名教授などになって皆に賞賛されているシーンを空想してストレス解消したりするのも、よくあることです。
もちろん誰にでもそういう一面はあるし、特に子供時代には怪獣をやっつけ、お姫様を助け出す強くて賢い主人公、あるいは綺麗で健気で王子様に見初められる少女…といったストーリーに惹かれ、夢中になるのは正常な心理ですし、そうした憧れや楽しさが、将来への期待や希望、生きる楽しみになっていくものなので、大切な心のエネルギー源です。
私自身でいえば、古くはアニメ「未来少年コナン」のヒロイン・ラナ、「風の谷のナウシカ」のナウシカ、「機動戦士ガンダム」のセイラ・マス、そしてマンガ「イティ・ハーサ」のヒロイン・トオコ など、こうして並べてみると自分でも苦笑してしまうほど、似通った女性キャラクターに惹かれ続けていることを認識します。
つまり彼女たちに共通なのは「賢く、知恵と優しさがあり、しかも必要とあれば危険も顧みず実行する決断力と行動力がある。それを可能にする専門の知識・技術と体力もある」といった点です。
こういうことを今回考えたきっかけは、最近DVDで観た映画「フライト・プラン」です。
主人公カイル(ジョディ・フォスター)は航空機の設計・プログラムの専門技術者ですが、自身が乗った機内フライト中に、危険な事件に巻き込まれます。
これを解決するために、単独で機内の倉庫や電機室に忍び込み、配線をいじったりするのですが、その高度な知識に裏付けられた大胆な活動劇には、久しぶりに気分が高揚してしまいました(笑)。
「はあ~、相変わらず自分は、こういうのが好きなんだなあ~」と実感した次第です。
では逆に、自分が嫌いなキャラクターは、何を意味しているでしょう?
それは自分の中にありながら自分が否認している部分、つまり「認めたくない、無いことにしておきたい」と感じている部分です(ユング心理学ではこれを「シャドウ(影)」と呼びます)。
私の場合でいえば
(1)ひたすら媚を売って可愛い子ブリッコしているタイプ
(まあ、20代までほどの嫌悪はしなくなりましたが…)
(2)理屈ばかりいって行動しない人(自分探しを10年以上も続け、その間の自分の食費も稼がない人)
(3)他人や環境ばかりを責め、自分を反省しない人
といったところですね。
あるタイプをとても嫌っている場合、嫌っていると同時に「実は自分もそうなりたい、でもなれないから」といった気持ちも一部働いている点は、ちょっと注意しておいた方が良いでしょう。
つまり自分の性質として「上手く発揮できていない」点を、嫌悪感として認識している可能性があるのです。
上記の例でいえば
(1)私ももっと女の子らしく、媚やしなを作って甘えてみたい
(2)ぐーたらして人に生活を依存して、平気な感性を持ってみたい
(3)相手ばかり責めて自分は悪くないと思えれば、ある意味楽だな
という気持ちもどこかに少しあるので、こうした人たちを嫌う気持ちが出てくるのですね。
もっとも本気でそうなりたいかと問われれば、やはりゴメンですが(笑)。
あと(1)に関しては、良いパートナーを得てあまり肩肘張らずに済むようになったため、20代の頃よりはずっとこだわりがなくなってきたというのはあります。
雑誌「an an」のランキングではないですが、皆さんも「好きな人、嫌いな人」各5人くらいずつリストアップしてみると、ご自分の感じ方を改めて理解できるのではと思います。
書いた人 浜野ゆり : 2007年09月13日 06:44