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占いV.S.意志

2005年07月06日

 「運命は既に決まっているのか、それとも本人の自由意志か」というのは、永く論争されてきたことである。それぞれの立場からの言い分があろうが、精神科医としての臨床と占い師としての仕事の両方を通じて私が見てきたところでは、「大枠は決まっている。しかしその中でどの道を進むかは本人次第」ということである。
  占い、殊に命術と呼ばれる、生年月日時から割り出す本人の大まかな人生行路は先天的に決まっていると考えて良い。それはどこの国のどの両親の元に生まれてきたか、どんな体質や知能を持っているかといった部分であり、原則として後から変えることはできない。また、生年月日時が決まれば、それに連動した本人の体内時計的運勢(西洋占星術でのプログレス、四柱推命での大運)も自動的に決まる。
  しかしそれにも関わらず、実際の日々の現実面という末端では、個人の考え方、それに基づく行動いかんによって、進んで行く方向はどんどん変わっていく。というのも(これが難しいところであり、また救いでもあるのだが)占いでは全て「象意(シンボル)」で物事を表現・予告するため、その象意の中のどの具体物を自分が選ぶかで大きく運命が異なり、またその選択は本人の意思に任せられているからである。
  例えば女性における男性運と仕事運は、西洋占星術では「太陽」が、四柱推命では「官殺」 が象徴する。同じ象意がつかさどるというのがミソで、これらの星が巡ってきた時にどちらを選ぶかは本人次第なのである。
  例えば四柱推命のクライアントで、大運(10年運)が10代から2つ続けて、つまり連続20年間も 「官殺」運が巡ってきていたのに、実際に男性とのお付き合いがあったのは2年ほどだけ、という女性がいた。この人はその間、仕事がかなり忙しく、エネルギーをそちらに注いでいるうちにその20年が終わったのだった。
  この女性の場合、「男性」よりも「仕事」の方にはっきりと価値を見出していたから男性を選ばなかった、というのではなかった。ただ「仕事」の方が馴染みがあり、未知の体験である恋愛・結婚よりも不安が少なかったため、自分ではそうとは意識しないまま、仕事の方にウエイトを置いたと思われた。
  この女性がこのように感じるようになったのは幼少時からの体験(主として家族との)が関係するだろう。ではその家族に生まれたのだって、この人の運命の内なのでは?という疑問も起こる。が、「家族の問題の程度」や「それを本人がどれくらい克服するか」というのも、ある枠内でのバリエーションというか、程度の差がある。こうした部分部分でのバリエーションの差が重なり、同じ生年月日時でもかなり違う人生を歩むことも多いであろう。
  付け加えるならば、上記の女性に、20年の期間中に強力に接近してきたり、魅力を感じる男性が現れたとしよう。「恋は思いの外」 の言葉通り、2人は確かに付き合い始める可能性が高い(そのようなものをこそ運命の流れというのである)。だが異性に対する不安や恐れ、不信感を持っている場合には、恋愛の中で経験する様々な山谷を持ちこたえらず、破滅的な争いをしたり、べったり依存したり、逆に自然消滅してしまったり、(親密になるのを無意識レベルで恐れて)自分をセカンド扱いにするような男性や妻子持ち、その他いわゆるだめんずばかりと付き合ってしまう、というパターンを取ることになりがちである。
  私のHPのデザインをしてくださった田中氏のサイト、大久保占術研究室の12月21日の日記に、表現は少し違うがテーマが共通の記述があり、興味深く読んだ。
  私自身も、例えば今後の仕事の方向性について検討中だがここ数ヶ月目立った動きはない、という時に、大枠としては占いを見る。すると西洋占星術ではプログレスの月や、トランジットの外惑星の動きから、また四柱推命では大運と流年(1年運)から、1つの節目は来春、以後夏にはこうで、秋にはこんな感じで・・・という傾向がわかる。その上で、その期間実際に何をどうするかというのを、瞑想や直感を使った、エネルギー・ワークを通じて掴んでおく。そうすると、最も楽しく、効果的で、自分のためになる選択をしやすくなるのである。
  その昔、「性格を決めるのは遺伝か環境か」という論争が、欧米を中心とする研究者の間で盛んであった。現在では「両方」、つまり「基本的傾向は遺伝的体質が大きく影響するが、環境によって相当変えられる」という結論になっており、これに大きく異議を唱える人はあまりいないであろう。「運命」の可動性の程度についても、同じように、先天性と後天性、両者の関与があると考えるのが自然なのでは、私は思う。
(2004年12月)

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月06日 18:04

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