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ライフシンボル展示館(今月のライフシンボル)

2005年07月25日

トップページでアップした作品から、順次解説つきで展示します。


2006年はタロットカード(大アルカナ)を毎月1枚ずつ解説します。
※各カードの標準的な絵柄は タロットセルフ占いソフト 大アルカナ版 のページで 「整列!」→「開いてめくる」で見ると、順番に閲覧することができます。
参考書:『数の原理で読むタロットカード』星和書店、『タロットリーディング』説話社(共に松村潔著)


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6.恋人たち


ストーリー:濃い緑色の平原の上に、ピンクの球と青い柱(エッシャーの騙し絵のように、途中がねじれている)でできた三角形があり、頂点が光っている。光の所から白い翼が生えている。
三角形の中と右側には、それぞれ緑色と黄色のサインカーブが現れている。
左側には4個の赤い点がある。
背景は、どこまでも続く青い空である。


解説:ウエイト版のタロットでは向かい合った男女の頭上に天使がいるが、今回の絵はそれを抽象化して描いている。


「恋人たち」のカードは2者が呼応し、互いに調整しながら新たなものを作り出す意味を持つ。青色とピンク色の質感の異なる柱が繋がり、三角(創造性の象徴)の空間を形成している。その中には緑色のサインカーブがあり、これも陰陽の調和によって新しいものが生まれることを暗示している。


三角形の頂点の光が冥王星位置にあることから、前述のようにして作り出すものを発展・開花させることが、長期的目標と考えていることがわかる。白い翼は霊性を表すため、「作品」はそういった特徴の強いものと見なせる。


こうした目標に対して、火星領域の4つの赤い玉は「しっかり現実的に根付かせ、確立しよう」という意志を、木星領域の黄色いサインカーブは「社会とうまく対応しあって調和的に発展させていこう」と考えていることを示している。


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5.法王
 今回から数枚は、抽象画にしています。


ストーリー:白い、飾りのついた十字架が丘の上に立ち、上から光が降り注いでいる。丘のふもとには薔薇と百合の花が咲いており、そこに十字架からの恵みのしずくが垂れ落ちている。十字架の四方の空間にはそれぞれ色がついている。


解説:中心の十字架が法王(キリスト教)を抽象化したものである。飾りは乳房のように見え、そこから薔薇と百合という信徒たちに神の言葉(黄金の光)という恵みを「垂れて」いる様子を表す(乳房は滋養、養う能力の象徴である)。この恵みの水によって地上(丘)は青々と緑が茂り、薔薇や百合も生育できるのである。


 5は「遊び、創造性」といった意味があるが、この「法王」の創造したい方向性は、四方の色で見ることができる。向かって右側の青色が最も大きいが、ここは「対社会性」の部分。濃い青色なので、専門知識を使って積極的に関わっていきたいと思っていることを表す。右上は紫色なので、直観力やイマジネーションも強めていきたいことを示す。


 左側は全体に暖色で、特に天王星部分が大きくオレンジ色である。自分のオリジナリティーを広げていきたいこと、それを楽しんでいることを表すと同時に、そのための勉強もマイペースで楽しみながらしていきたいこと(水星部分の淡いピンクないし肌色)を示唆している。
 ちなみに十字架の白は神聖性、黄色は公平性を、また薔薇の赤色は情熱やバイタリティー、百合の白色は純潔、潔癖、私心のなさを表現している。


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4.皇帝
ストーリー:皇帝が赤いマントを右腕にかけて広げている。同時に両腕で何かを抱える、包み込むように広げている。


解説:皇帝のカードがある「4」の数字の意味は「普遍性、普及、安定性、強引」といったものである。
 この絵の皇帝は立ち位置が右側なので社会性を意識しているものの、そちらには背を向け、まだ関心は(左側である)自分の内面に向いている。マントにはらんでいる風が左からきていることも、これを支持している。


 一般にマントはその人のオーラと同時に「防御するもの」の意味を持つため、赤いマントは「傍目には積極的に見える」状態であるものの、上半身の水色のシャツに表れているように、本人にはまだ行動に駆り立てられるほどの情熱がなく、あれこれ頭の中で計画を考えているところと思われる。すぐに行動するつもりのないことは、茶色のズボンや靴、そして背景が全体に漠然として具体的な事物の記入がないことにも表れている。


 またこの皇帝はキルト(スコットランドの民族衣装)に似たプリーツスカート様のものをはいているが、これは(スカートの女性性、民族のマイノリティーといった関連から考えて)彼が自分のやり方を王道としてごり押ししていく積極性や攻撃性、自信といったものをまだ持てないでいることを表す。皇帝の顔が成熟した男性でなく若者のものであることもこれを示唆する。


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3 女帝
ストーリー:
女帝が椅子に横座りして、手鏡を見ている。静かな気持ちである。右上から穏やかな光が射している。女帝の背中には白い翼がある。椅子の足元には王家の紋章を刻んだ盾が置かれている。


解説:
 もともと女帝のカードが受け持つ「3」の意味は生産性、増殖、豊饒といった意味を持ち、ウエイト版の図柄ではルーズなワンピースを着ており、これは妊娠を暗示しているともいわれる。私のタロットでもワンピースであり、それに加えて女性の記号型の手鏡を持ち、縦がハート型であるなど、女性性が強調されている。


 この女帝はブロンドのロングヘアであることから、周りの人々の感情を敏感に受信すること、同時に右上(海王星領域)から同じような色の光が射しており王冠が紫や濃い青色であることから、自分の直観力を活用して物事を判断していることを表している。ロングヘアのことと兼ね合わせて考えると、国民の情念や政治の方向性について、チャネリング的な形で感じ、方針を決めていることだろう。


 女帝の翼はマルセイユ版の伝統に沿って描いたものである(マルセイユ版では、一見玉座の背もたれのような描き方をしているが)。一般に翼はその人のオーラや、あるいは精神性、広く伝わる情報といった意味を持ち、白色は純粋性・過剰な情念をよしとしない状態を指す。また盾は「防御」の意味を持ち、ここに描かれた鳥(マルセイユ版では鷲)が青色であることから、周りの人々の感情や要求は充分察しながらも過剰にそれに巻き込まれず独自のペースでの判断をすることを示している。


 なおドレスの下からわずかに赤い靴が見えており、これまで静かに座り内面的な作業(計画作りなど)をしてきたが、近々立ち上がり実際の行動化をするであろうこと、女帝が画面の右側を向いているので対人関係(特に社会的な)に入っていこうとしていることがわかる。
 そしてこの際、壁が青、床が緑色であることからも、人を癒して良い方向へ変容させることを生活方針としながらも感情的にならず、専門知識に基づいて行動するつもりであることを表している。


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2 女教皇
ストーリー:
夜、湖を背にした椅子に女教皇が座り、教典を読んでいる。椅子の背後には月相図の幕がかかっている。左右の柱の上端は松明になっており、その光に照らされての読書である。


解説:
 「2」は先天的資質に基づく本能的な判断といった意味を持ち、身体や月の満ち欠けに見られるような自然のリズム、遺伝子や家系・民族性など生まれながらの影響を強く受ける。
 この絵では女教皇は夜の湖(本能、無意識、衝動)のエネルギーを受けながら読書をしている。
 同時に海王星・天王星位置は炎で明るく、その光で読書していること、帽子が紫色であることから、自我の知性ではなく直観力やインスピレーション、イメージ力によって書を理解していることがわかる。


 また女教皇は2本の柱と月相幕(8分割は内面への凝集力を示す)に取り囲まれ、更に半透明な白い衣で体を覆っており、現実的な対外関係に無関心で、現在自己の内面に引きこもり没頭している。
 絵の全体が青から紺色であることから、感情を排し冷静な気持ちで勉強していること、松明の炎だけが黄色~オレンジ色と明るく、胸(目的、方向性)の十字架が赤色なので読書を通じてインスピレーションを受けるのを楽しく思っていることが示されている。


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1 魔術師
ストーリー:魔術師が草原の中でテーブルを広げて奇術(マジック)を披露する、というのが本来のこのカードの意味だが(標準的な絵と比べていただきたい)、この絵の魔術師は棒・コイン・カップ・剣の4元素を表す道具のうち、カップを手に持ち、剣を口でくわえている。またテーブルの足のうち、1本には蔓植物が絡み、1本にはキツツキが穴を開けている。遠景には2つの山と、そこから流れ出ている川が見える。


解説:数の意味の連続性でいえば0が「まだ何も始まっていない、可能性の状態」であるのに対し、1はとりあえず1つの立場を決めてそこでの活動を始めるという意味であり、魔術師は大地に「固定・安定」という意味の四角いテーブルを出して、奇術という「活動」を開始する。
 この際、4元素を4つの手段としてあらゆる状況に応じた術を行なうというのが本来の魔術師のあり方のはずだが、この絵の魔術師は違っている。


 まずコインは単体ではなく、テーブルにかけられた派手なクロスの大きな柄となっており、これは基本としてコイン(土の元素=現実的な生活力を示す)をベースに据える方針を示している。クロスの地が青と黄色(プラス赤い三角形)、コインの柄がオレンジと黄色であることから、「冷静に知識を集め、計画を練った上で、自分の好きな分野において創造性を表現したい」と思っていることがわかる。


 テーブルの上に互い違いに置かれた2本の茶色の棒は自分が目指す方向性がまだ定まっていないことを、またカップに盛られたデザート(パフェ)は、魔術師が手に持っているもう1つのカップに赤ワインが入っていることとあいまって、カップ=人の感情面を受け取り、研究することがこの人にとって非常に喜びの源であり、力点がそこにあることを表す。
 一方で口に剣をくわえていることから、魔術師が話すことは非常に冷徹な可能性があり、自身もそのことで周りを傷つけないように気をつけなくてはと考えている。


 魔術師は白い服にレースのような、マントのような薄地の白い布をまとっており、これは自身の生々しい感情を排して純度の高い活動をしたいと思っていること、それには直観力やイメージなど精神性の強い方法を用いたいこと、しかし赤い下向きの三角形が服の模様にあるように、精神性をしっかり現実的な手段に着地させて(いわゆるグランディングをさせて)結果を出したいと考えていることを示す。


 テーブルの足の、片方が蔓で更に固定され、片方がキツツキで壊されようとしているのは、しかしまだこの絵を描いた時点では自分が今後始めようとしている長期的な計画に今ひとつ確信がなく、葛藤があったことが推定される。


 海王星領域(画面右上)の山はやや濃い青から紫色であり、ここから火星領域(左側)に川が流れている。これはインスピレーション、イメージを受け取ることが自分の意思、行動方針を決めるのにエネルギーを供給してくれることを表している。


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0愚者
ストーリー:私はビルの屋上から、2本の傘をパラシュート代わりにして飛び降りようとしている。リュックを背負い、サングラスをかけ、ヘッドホンをして、風船ガムを膨らましながら。犬が私を止めようとして私の足元に噛み付くが、私の足から靴が脱げただけで、飛び出す勢いは止まらない。
 背景は横浜の海辺あたりのイメージで、左下には海とそこにかかるベイ(レインボー?)ブリッジがあり、2隻のボートが行き来している。左上にはミラーボールが七色の光を放っている。
 右上からはジェット機が遠方の空を飛んでいるのが見える。その下には積雲のような雲。右側には観覧車の上半分。その左は、2個の花火である。


解説:タロット大アルカナの冒頭に出てくるカード「愚者」は崖の端から転落しようとする人物を書いている。これは崖(それまで居た世界の境界線)を超えて新たな世界へ踏み入れようとする人の状態を描いたものであり、別の世界に入った時にはしばしば環境や心理面での激変を経験するため、それを「足を踏み外したようなショック」として感じることが多い。このためタロットカードでも「崖を踏み外そうとしているのにボーッとしていて気づかない愚か者」という風に描かれているのである。


 私の「愚者」の絵では、主人公はまっすぐ前を向いて飛び降りる体勢である。両手には一応傘は持っているが、そんなものでは飛べないことは充分承知しており、それにサングラス・ヘッドホン・風船ガムを使ってわざと「見ざる、聞かざる、言わざる」状態に自分を置いている。つまり、「未知の世界に飛び込む」ことに確信犯的であるが、やはり怖いのであえて目や耳をふさぎ「えいっ!」と飛び出しているのである。


 犬は世界の境界線の警備員であり、神社の狛犬なども、俗世と神様の住む世界の結界を守るものである。ここでも私を止めようとするが、全く力及ばずとなっている。犬と私の下に緑色の影があるのは、今後の新たな仕事生活での生産性や統合性、癒しといったテーマを暗に示しているのかもしれない。


 左上(天王星領域)でのミラーボールの7色の光は、自分のオリジナルな考え方・理論を段階的に周りに伝えていきたいと思っていること、それが左下(水星領域)の海にかかった橋(その凹みが光を受信しているような図柄になっているので)で受け止め、大衆心理に広げていけるような言い方、伝え方を模索していることをそこに浮かぶ2隻のボートが物語っている。


 右上(海王星領域)からの飛行機と雲の並びから、直感的なイメージ、アイディアの助けによって2つほどのアピールポイント(花火)を作っていること、それで右端(木星領域)との接点にしようとしていることが見受けられる。ここには観覧車があり、水色の軸の先に黄色いカートが8つ見えることから、木星が表す社会性において、親しみやすい用語を使って多くの「仲間」を作り、その関係性の中でのびのびと仕事や人間関係を発展させていきたいと考えていることが表れている。


 ただ、右下(金星領域)から中央下(月領域)が平板な灰色であること、ズボンが青くシャツが黄緑色で描かれていることから、この絵を描いた時点では個人的な心情としては現状に退屈して非生産性を感じていたが、新たな生活に思い切って飛び出すに当たって弱気さや不安感も結構あったことが伺える。実際この時期には、新しい仕事生活に入るための準備に取り掛かった最初の頃で、自分の進むべき方向性はある程度まとまっていたものの、具体的なプランはまだはっきりせず、漠然としていた。


2005年は十牛図を毎月1枚ずつ解説します(→十牛図について)。



十牛図 第10図 入てん垂手(にってんすいしゅ)
ストーリー:地上に戻ってきた私は、海水浴場の海の家の並びにある売店でたこ焼きを売っている。若い女性客が買いにきている。私は普通にたこ焼きを焼いて売りながらも、時々急にフト変なことを客に話し掛け、相手を惑わせるかもしれない。双子の男の子がたこ焼きの看板絵を覗き込んだり、私の手元を覗き込んだりしている。売店の両側のポールは紺と黄色の縞模様で、暖簾も紺と黄色のウミヘビロゴである。
解説: これまでの流れで来た私は、普通の生活を送る街中には戻るのは難しいが、非日常の空間である海水浴場なら可能だ。海辺では老若男女、社会的地位とは無関係に、皆裸になり、開放的な気分となる。炎天下で頭もボーッとして、普段の理性的思考によるチェックも行なわれにくい。そういった中でふと私からおかしな言葉をかけられるかもしれない。看板はたこ焼きでももしかしたら、ウミヘビの肉も混じっているかもしれない・・・。
ここで夏、女性客がたこ焼きを買い、秋になったある日、自分が第1図に居ることに気づく。「そういえばあの時、たこ焼きを食べたなあ・・・何かその頃から、だんだん変な感じになってきたような・・・」と感じているかもしれない。
こうして次の世代の若者に悟りの探求の道が受け継がれて行く。



十牛図 第9図 返本還源(へんぽんかんげん)
ストーリー:天上から滝が流れ落ちている。光も流れてくる。私は上方へ飛んでいく。気がつくと腕は翼に変わりつつあり、尾羽も生えてきており、自分が人間である確信が持てなくなってくる。紺と黄色の蛇が口を開けて脅すが、よく見るとオレンジがかった薄桃色の翼を持っており、聖なのか邪なのかわからない。
斑点のある卵が割れて、雛が出てくるのかと思ったら植物の双葉が出てくる、では種だったのかと思っているとやっぱり先端にヒヨコの頭が生えてくるという、不気味なものもある。また魚も見えるが、魚なのに脚が生えていてトテトテ歩いている。しかもその1匹はヒラメのごとく、体の片側に眼が両方あって、こちらをじっと見ている。
向かって左上からは緑のゲル状の力が降りてくる。その下には小さなトンボが3匹飛んでいる。

解説: 「自然のままで良い」というのがこの図のテーマだが、果たしてその「自然」とは何なのか?何を基準とするのか?がその心である。下の世界(日常世界であり太陽系、イエソド)と上の世界(外宇宙=銀河系および以遠、ケテル)の両者と接し、そのどこかで自分の座標を定める、それがその人独自の「自然」となる。
一般にこの段階は人外魔境であり、この世の常識が通じない、怖い時期である。



十牛図 第8図 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
ストーリー: 自分(主体)が消え、世界の中心がなくなり、自己が世界に溶けていく。
解説: 7図が自己完成の図であり自己の中心がテーマであったのに対し、第8図では世界の中心たる自分がなくなり、それによって世界の周辺性、外世界との境界を意識しだす段階である。



十牛図 第7図 「到家忘牛(とうかぼうぎゅう)」
ストーリー:私は樹の上に枝葉を重ねて寝床を作っている、これが私の家である。ちょうどチンパンジーやオランウータンが夜の寝床を作るようなものである。緑の葉の所々には紫の葉が混じっており、これは龍の鱗である。また私が手に持っているのは龍の角からできたワイングラスだが、自分ではそれらが龍由来の物であるとは気づいていない。満足な気分で寝転がり、満月を眺めながら月見酒をしている。
解説:第7図はこの現実社会の中で主人公が頂点を極めた時の様子を表現する。西洋では石の豪邸を描くところだろうが、廓庵の図では木と紙の粗末な家で描かれる。家がその人の社会的地位・経歴を表し、それが頑丈であるほど、次の8図に進むのが困難である故に、外側の強大な影響力により家が破壊されなくてはならない。しかしもともと家が吹けば飛ぶような物であれば、人はただそっと家を出るだけで済む。
 私の第7図ではそもそも家の体を成しておらず、しかも葉は常に成長しつづける生命力を示す。この図の主人公の場合、社会的看板としての地位名声はあまり気にせず、ただしオリジナルな生産性が強力なために実質的な力を持つ。



十牛図 第6図 「騎牛帰家」
ストーリー:私は龍の背に乗って、共に空を飛んでいる。いつのまにか私は幼い少女になっており、半ば夢うつつで鼻歌(子守唄?)を歌うと、龍もおねむになってきて、次第に高度を落としつつある。
解説:5図で龍と人が同期した後は、2者して「家(ホームベース)」に帰る。4図を経て知性の比重が少なくなった主人公は子供として描かれている。メロディは「調和された理想世界のビジョン」を象徴し、この音楽を合図に龍は着地していく。雲海は下の世界との境目を表し、これからその境界線を越えて接地することを示す。



十牛図 第5図 「牧牛」
ストーリー:龍と私は和解し、私は龍について歩く。今や私は、左手で龍の尾につかまり、行く先はもう任せているので進行方向に注意は払わず、右手を口にくわえて辺りの風景をキョロキョロ見回している。頭はちょっとおバカになっている。
解説:龍に導かれて自分の内面、特に意志と自己決定力の火星方向に向かう。第1、2図で形成されていた水星領域の地盤は一旦破壊されたが、5図で再生している。
  水は海から川になっており、これは海にくらべ広さや方向性が制限されているため、進む目標が絞り込まれてきたことを示す。
  龍は上流方向に歩いている。上流=動機、下流=結果を示す。



十牛図 第4図 「得牛」
ストーリー:牛(白龍)と私は浜辺に上がって、もみ合っている。龍が噛み付こうと迫ってくるのを、私は両腕で必死に抑えようとしている。
解説:第4図の人と「牛」の大きさや位置関係を見ることにより、知性と情動の力関係を知ることができる。
 この4図においては龍の方がかなり大きく、人物の特に下半身は龍に絡め取られ、日常生活はもはや龍に支配されている(うぐいす色)。上半身(思考、理性)部分で必死に龍に抵抗しているが(赤色)、ロープ(標準の言語、理論)を介さず、直に手・腕で対抗しているために、他人に説明できないし、理解されない。
 背景は砂浜(陸地)、海、空と3段階揃っており、段階を踏んで変化を起こすことを示している。天王星方向の雲は、そちらのアイディアが次第に形をなしてきつつあることを示し、ここでもまた、海王星方向からの光に照らされている。



十牛図 第3図「見牛」
ストーリー:海底を探っているとある所で、更に奥深い穴の底に、探していたものを見つけた。それの眼が光ってこちらを見ている。その両眼と尾の先だけがわずかに見えるが、あとは漆黒の穴の中に潜んでいる。
解説:第3図の描き方で、その人の「牛」の見つけ方が表される。
この3図においては海底の更に深い穴の底、しかも絵の向かって左側なので、外社会や他者からではなく、自分の内面に深く入って「牛」を探し出してくることを示している。このやり方で見つけた牛は非常に強力だが、その分圧倒的であり扱いにくい。



十牛図 第2図「見跡」
ストーリー:ついに決心して、海に飛び込む。泳いでいるうちに、いつの間にか自分の手足はヒレに変化している。
 海の中には様々な生き物がいる。紺と黄色の縞模様のウミヘビが、螺旋状に絡み合いながら泳いでいる。カニやエビ、ウミガメ、ヒトデもいる。珊瑚にはタツノオトシゴがいる。
  危険な生物たちもいる。クラゲはミズクラゲなので毒はないようだが、エイの尻尾にはあるし、岩陰からはウツボが首を出して窺っている。珊瑚の側の巨大なシャコ貝は半開きになっていて、ダイバーが足をうっかり挟んだら抜けなくなり、窒息してしまう恐れがある。
解説:第2図は沢山の雑多な対象があることが大事である。2図のパーツが少ないとその後の発展が乏しくなる、何故なら多くの可能性の中から自分の牛を探し出すのであり、2図が8図の材料元になるからである。
  海の中、深く潜るほど水圧(プレッシャー)が強まる。海は全ての命の源だが、その分際限がないので何が飛び出してくるかわからない怖さがある。手足がヒレ化しているのは「具体的な言葉化」ができなくなっている状態を示し、この図において主人公が感覚と衝動に従って行動しており言葉では説明できない状況にあることを表す。
  普通2図は「金星的、楽しい個人の文化活動」の段階を表し、これはこれでとても楽しいので、一生この段階に留まる人たちもいる。
  この2図においてはウミヘビ、クラゲ、ウツボ、エイ、シャコガイと、油断すると危害を加えてくる動物達が多数描かれ、楽しいというよりはやや不安の感じられる絵である。
  私自身は2図の途中でもう退屈してしまい、早く3図に移りたくなった。即ちもう第2図の段階は通り過ぎていると考えられた。



十牛図 第1図「尋牛」
ストーリー:私は大洋に臨む高い崖の上で立っている。緩やかな海風が頬を撫で、天上から金色の光が降り注いでいる。光を受けながら、自分はそろそろ海に飛び込まなくてはならないと感じているが、まだ決心がつかないでいる。
 足元の草むらには所々、小さな花が群生している。だが自分の関心はもうあまり足元にはない。背後の空から、鳥の羽がぱらぱらと落ちてきている。水平線の向こうには夕陽を浴びたようなオレンジ色の惑星が沈もうとしている。木星の大赤斑と土星の輪を兼ね備えたような、ありえない惑星だ。
 足元には大きなトンボ(オニヤンマ)が飛んできた。
解説:海は原初の意識体、全ての生命力の源を意味する。
  沈む惑星は古い海王星意識を表す。輪は「タガ」を意味しそれが沈んで行っている。その代わり冥王星・海王星方向から金色の光が差し込んでおり、今後はこちらの影響に導かれていくことを示している。日常生活や具体的な仕事・作業はしっかり築かれており、既に挙げた仕事の成果も4つほどあるが、本人はもうそれに背を向けている。天王星方向から降ってくる羽は情報を表し、「新規なアイディア、知らせ」を示している。
 トンボは東アジア圏では先祖を表すというが、「空を飛ぶ神経組織体」という連想と併せ、輪廻転生やあの世との繋がりを暗示する。
  マントは本人を保護するものやまとっているオーラを表す。ズボンが赤色なので、迷いつつも近々行動化することを示している。



色紙による簡易ライフシンボル「無題」
ストーリー:2004年2月29日、無心に色紙を切り貼りして作った作品。気持ちの赴くままに貼り付けたため、何を作ったか意識していなかった。→同日の業務日誌ご参照
解説:ライフシンボル分析は、どんな題材・画材を使った作品でも可能である。この作品を造るにあたって、「ライフシンボルとは?」の説明にもある、3×3のマトリクスに各々色紙を配置するのを基本として製作したが、切り取り・重ね貼りもしたのでそれなりに複雑な形になった。
 要約すると、この作品では「常識的な医学(山羊座的)」では飽き足らず、まだ一般的には認められにくい理論や手法に基づいた活動=仕事をしようと頭の中はいっぱいだしその勉強はしているが、まだ実際の活動にはあまり反映されていない状態、が表現されている。



天王星のサビアンシンボル:乙女座17度「火山の噴火」
ストーリー:水辺(湖のほとり?)に立つ火山から、噴煙が立ち昇っている。この火山は様々な色の破片に割れている。火山の背後には三日月や星が見える。そしてそれらは湖の水面に映っている。
解説:これは冥王星と同じ度数であるが、こちらの絵では火山の噴煙は冥王星ほど爆発的ではない。また火山自体もジグソーパズルのように、多数の部分の合体として形成されており、各断片の形や色がばらばらなのは、それらのバラエティを表現している。火山の実像と鏡像の2重写しは、意識的世界と無意識的世界の対応関係を象徴している。
 天王星は自分の内面の独創性、オリジナリティを表すものだが、この「種々の断片で構成された火山」は「知識や理論が様々な分野からのの持ち寄りであり、まだ自分独自の理論として統合されていない」状態であることを示している。実際、この絵は、西洋医学・東洋医学・各種エネルギーワーク・占いなどの多分野の勉強をして知識を身に付け始めた時期に描いたものである。



火星のサビアンシンボル:蠍座25度「X線写真」
ストーリー:天かららせんを描きながら降りてくる羽根。そしてこの羽根は色や形を少しずつ変化させながら、天から地まで続いている。この絵全体をレントゲン写真と見立てた。
解説:羽根は情報を表す。中心部分から上方へ行くほど青、紫と知識・専門色が強まっていくが、冥王星部分がピンクになっていることから、通常の社会観念の一線を越えるほど極端でも、自分流の独自な理論を追及したい気持ちを示している。また、中心部分が緑と赤の組み合わせ、しかも羽が13枚あることから、ここでもやはり世間的な枠を越えて自分流の理論や技法を編み出したい欲求を表す。更にそれを1回骨だけにしてから最終的に白い羽根として接地していることから、一旦ぎりぎりのエッセンスを残すだけにして絞込み、非常に純化した鋭い知識として活用したいことを表す。
 羽根全体の芯の色は肌色で、これは淡いオレンジと見るので、(濃いオレンジほど激しくはないが)本人はこの過程を楽しんでいる。
 なお、全体として中央の柱(月-太陽-土星-冥王星)のみが強調され左右の柱には背景色しか描き込まれていないことから、文献や資料も、また他の人達の意見も気にせず自分の直感だけで押し進めて行く意志であることを表現している。
  ちなみにこの火星、私の12ハウスにあるがアセンダントにかなり近く、また火星は蠍座の副支配星ということとも相まって、かなり私の行動基準となっている。 実際の職業上でも、精神科患者の診察、深層心理や無意識を扱うディープなカウンセリングで、日々活用しているという実感あり。



水星のサビアンシンボル:天秤座4度 「キャンプファイヤーの周りの若者たち」
ストーリー:森の中の広場。トーテムポールの周りに火が焚かれ、熱気で包まれている。
解説:これは太陽と同じサビアンシンボルであり、人生の目的(太陽)はこの水星(勉強・技術取得/言葉・分析)と分かちがたい状態で達成していくべきものであることを示している。
 シンボルが火の周りの、志を同じくする仲間を表すものであるにも関わらず、この絵ではまずトーテムポールがありその周りを火が囲んでいる。すなわちまず中心となる理論や思想があり、それを情熱の炎が盛り立てている状態であり、この絵を描いた段階では自分1人で考えをまとめているところであり仲間を得るというイメージがまだなかったことを表す。
 トーテムポールは動物(大地からの生命力)を集中して汲み上げることを表現しており、しかも 魚や爬虫類といったより原始的・衝動的な生命体から霊性の鳥へと段階的に進んでいくことを示す。
 森や樹木は集団的無意識を表すと同時に生産性、生命力をも表す。木が右側に6本、左側に7本あることから、自分は対人・対社会的には常識的な反応をするが実は内面的には新たな理論・思考を形成してやがて外に打ち出そうと密かに算段し始めていることを表している。



海王星のサビアンシンボル:蠍座19度「聴いてはしゃべっているオウム」
ストーリー:オウムが、その止まっている枝からの小枝を足でつかんでいる。小枝は発光し、光る蜜のようなしずくが、したたり落ちている。
解説:この度数は、自身が受信した情報を、自己判断を加えずにそのままアウトプットするという意味で、チャネリングの度数ともいわれる。これが海王星でしかも12ハウス、という魚座の特性の強い場所(つまり、直感やテレパシー、集団的無意識といった世界)で起こっているため、一段とサビアンシンボルの意味が強まる。事実、私が精神分析という、精神科の中でも特に深く無意識世界に入り込む仕事をしているのも、この度数周辺に海王星・金星・火星・アセンダントという4つもの感受点を持つ故と、納得したものである。
  オウムが真っ白なのは、自分の好みや欲を離れて純粋性を追求したいとか、潔癖性を表している。特にオウムが向かって左を向いているので、自分の内面に目を向けていることを示している。背景が紺色なのは専門知識に浸りたい気持ちを表している。月-水星方向に伸びる枝は自分の生活に根付いた、即ち実感を伴った知識や技術の習得を意味しており、そこからの小枝をオウムが右足で掴み上げているのは自分でその成果を組み上げたい気持ちを示す。
  ただしこれだと自分の言葉化した理論をもって表現したいという意味になり、このシンボル本来の「自分はより大きなソース(供給源、即ち集団的無意識)からの情報を、手を加えず媒介表現するもの」という意味から少し外れる。今後はこの「小枝」を求めなくなることが目標となるだろう。



木星のサビアンシンボル:蟹座1度「船の古い旗が降ろされ、新しい旗が掲げられる」
ストーリー:大きな帆船が、古い旗(後方の緑、青のもの)を降ろし、新しく赤色と紫色の大きな旗を掲げ、新航海に乗り出そうとしている。
解説:木星は対社会的関わりを表す。船は天王星方向から進んできているので今後の仕事上のことで自分独自のものを展開していきたいと思っており、新しく上げた旗は赤色でやる気満々、内容は紫色なのでかなり特殊な分野のものである。
  海王星方向からはカモメが飛んできて船を見ているので、直観的なイメージを受け取りそれを仕事に生かして行きたいということを表している。
  ただ、自分の内面から出てきた展望(向かって左側の世界)を対外的世界(右側部分)とどう融合させていけば良いかがまだわからず、右3分の1のところで左右の世界が不連続な断層になってしまっている。
  これは2003年の秋、まだ今後の新たな仕事の方向について模索し始めた頃に描いた絵である。



金星のサビアンシンボル:蠍座16度「破顔一笑する少女」
ストーリー:何かの感覚(情報、直感)を感じ、それを喜んで受け入れている女性。
解説:この絵は2002年の秋、「ライフシンボルインストラクター基礎コース」の初回授業の中で「各自の金星サビアンを描きましょう」という課題で描いたものである。
蠍座16度は「受容性」を表す度数だが、この絵では主人公は向かって左側を向いており、彼女の受容性は外界や他人に対してではなく、自己の内面に対して開かれることを表している。この絵では顔を左上に向けているので天王星領域、すなわち自分の思想・思考のオリジナリティを受け入れようとする感じを表している。そこが黄色い波動のようなもので描かれているので、そちら方面への好感、惹かれるものを感じていることを一層表現している。
一方で画面の右側は黄緑色に塗られており、まだこの時点では自分の独自な(ということは一般社会的にはまだ突飛と思われがちな)考え方を打ち出すことにはやや弱気な主人公の心性がうかがわれる。
しかしながら頭にはオレンジ色のリボンが巻かれ、しかも7つの三角形模様である。これはやはり天王星方向のものを金星方向(自分の楽しみ)領域に引き込みたい強い願望を示し、終着点の金星領域が赤色であることにより一層強調されている。
もともと金星は「個人の楽しみごと」を表す天体であり、私はこのコースを受講する中で絵を描く楽しさ、それを分析する知的興奮の中に、どんどんのめりこんでいくことになったのであった。



冥王星のサビアンシンボル:乙女座17度 「火山の噴火」
ストーリー:火山が激しく噴火し、熱いマグマをほとばしらせている。空は雷雲に覆われ、時折稲妻が走る。夜空では流れ星がいく筋か、流れるように光っている。火山の向こう側には、湖らしきものがあり、噴火の振動や飛来する隕石などの影響で絶えず波紋が広がっている。
解説:この度数の「火山」は、自分自身の内部から沸き起こる激しい衝動や力を表し、最初はそのような強大でしかも制御不能な衝動に恐れを感じることが多いが、やがて自分自身の、これまで意識して使えていなかったパワーであると認め、活用法を学ぶにつれ元気になってくるもの、自身を変革に導いてくれる力となる。
この火山の噴火口は自分の中心点である太陽の位置にあり、冥王星領域に向かってまっすぐ、主としてオレンジ色の噴煙を上げている。これは公のつまり社会的立場において今後どんどんがんばって行きたいことを表し、また火山の裾野もマグマの流れる方向も水星・金星領域であることから、勉強や技術習得をして職歴を積んで行きたいこと、そしてそれが楽しいと感じていることを表している。噴火によって水面が揺れる湖は木星領域にあるので、これが職場、仕事内容を表しており、やはり水物=多くの人の心理、感情を扱う仕事であることを示唆している。
天王星領域から4つの流れ星が火山の方向に降っていることは自分のオリジナリティーを作り安定させていきたいことを表しているが、「流れ星」というもので描かれているため、まだ流動的で、明確な形になっていないことを示している。
追記:この絵は私が一番最初(2002年8月)に描いた4枚のうちの1枚で、今から見るとまだためらいがちの描き方だったり、あいまいな表現をしていることがわかる。現在もしこれを描き直したとしたら、天王星領域にはもっとはっきりした、思い切った図象を描き込んでいるだろう。



土星のサビアンシンボル:魚座13度「博物館にある、古代の剣」
ストーリー:宝剣。柄にはサファイアとルビーが埋め込まれ、剣は根元から鉛、青銅、銅、銀、金、ダイヤとつながっている。ダイヤの剣先は天上からの光を帯びてプリズムとなり、光線を7色に分けている。向かって左上には六芒星がある。
解説:土星は社会生活のゴールとか、人生の最終達成イメージを表すとされる。
この絵では水星領域から海王星領域に向けて、6種の元素からなる剣が配置されており、水星(勉強、取得した技術)を段階的に発展させて、イメージを理解・創造することを表している。
海王星領域からの光を7色の光線に分けることは、漠然と一体化しているイメージ世界を分析し他の者たちに伝えること(7は伝達、コミュニケーションを表す)を暗示している。
天王星領域の六芒星は、自分の内面的・象徴的部分においても、直感的アイディアを受け入れつつ(6は外部からの影響への反応を示す)自分なりのオリジナルな思想ないし理論を確立していこうとしていることを示している。



太陽のサビアンシンボル:天秤座4度「キャンプファイヤーの周りの若者たち」
ストーリー:中心の大きな炎(キャンプファイヤー)を透かして、人影が見える。おそらく自分である。
澄んだ夜空からは流れ星が落ちてきたり、光の破片のようなものが幾つも舞っている。
向かって左上の樹木の枝からは葉が何枚か落ちてきている。
解説:赤い炎が盛んに燃えているのは、太陽が意味する「社会性、職業生活」において私がやる気満々であることを示し、それがらせん状にねじれて燃え上がっているのは直線的ではなく段階を踏んで仕事を完成させたい気持ちを表す。
背景が青や紺色なのは理論的思考や専門知識の習得をベースに考えていること、天王星領域の重なった枝は「既存の理論を組み合わせて新たな理論を作りたい」意向を示す。そこから「受信と成長」を表す葉が3枚金星領域に流れており、更に海王星側から三角形や星型といった「創造性、能動性」の形をした星々もここに合流してくるので、直感的情報も交えた上でこの構築した理論の結果を自分の楽しみとするであろうこと、身近な生活の中で活用しようと考えていることを表している。



月のサビアンシンボル:天秤座30度「哲学者の頭の3つのこぶ」
ストーリー:3分野のエネルギーが絡み合い、ぐるぐる回って、より大きく統合的な力を生み出している。ライオンがその上で力強く歩いている。ライオンがこの車輪を回しているのか、それとも車輪の回転によってライオンが歩いているのか。おそらくその相互作用だろう。
一方、何故かライオンの反対側には幽霊のような青白い動物(馬?)が寄る辺なく立っている。
解説:出生ホロスコープ(生年月日時の星の配置を表した、西洋占星術の星図)における10惑星のサビアンシンボルというものを自分で絵に描くというのが、ライフシンボルの原点である。
私の生まれた瞬間の月は天秤座29度にあり、これはサビアンシンボルでいうと30度の「哲学者の頭の3つのこぶ」というものになる。その意味は「虫・羊・人、それぞれのレベルの意識」あるいは、より一般的には「知・情・意」、これら3つの統合を表す度数である。
この絵では、上方に通常の常識を超えた知識や感覚を表す紫が、下方にはバイタリティの赤があり、それを生命力の緑と知識の青色が介在して、三つ巴としてエネルギーが循環していることを表している。
ただし巴の上を歩いているのが意欲に満ちた獅子であるのに対し、下方には青白い草食動物が描かれており、これは「理念上はやる気一杯だがまだ実質上の行動が伴わず、頭でっかちの状態」であることを示している。特にこの絵は「月」の絵なので、その中でも「月」の位置である真中下方にこのような弱々しいものを描いたことは、改善すべき大きなポイントが日常生活レベルにあることを示している。
幸い、中心の三つ巴に代表されるように、「3」の持つ能動的なエネルギーや統合力に期待できそうである。
この絵の解析をきっかけの1つとして、私は仕事上の具体的な改革を始めたのであった。



幸福
ストーリー:「幸せ」をイメージしたら、このような絵になった。自然の中で、動物たちに囲まれていたいという願望。
私が森の中にある草地の上で昼寝していると、大きな水鳥がやってきて、私に頬ずりする。天上からは柔らかな光が降り注いでいる。とても静かだ。側には滝があって、アオサギが巣を作るための小枝をくわえている。滝では魚がはねている。鴨が水から上がってきている。手前の葉の上ではカマキリがいて、どんぐりを持つリスとおしゃべりしている。
デイジーのような花が、蜜を垂らしている。上の方からは花びらが数片、ひらひらと舞い降りてくる。花の根元では、何種類かの木の実が落ちており、かすかな光の中をイトトンボたちが飛んでいる。
ライフシンボル教室のクラスメイトたちから「涅槃図みたいだね」「鳥葬か?」などといわれた作品である。
解説:主人公の女性は土星の位置に寝ており、このイメージは将来的な目標であり、現実生活を表しているのは太陽の位置にいるカマキリである。カマキリは直接地面に立っているのではなく葉の上にいることから、一段高い(有利な)視点から、他の者たちと接している。カマキリは向かって右側を向いており、個人的な対人関係や趣味仲間(金星位置にいる)のリスや、社会からの情報(木星位置にいる鴨)に注意を向けている。リスは「貯め込む」「防衛」を象徴し、それゆえリスの背後の角はオレンジ色(特定の人達との親密感を表す)の枠を塗り込むことによって守っている。
向かって左側の植物は水星(思考・理性・分析・言語・技術)領域にたくましく張った根から養分を吸い上げて土星領域に向けて花開いている。その産物(蜜)は再び水星や、月領域に滴下しており、このように勉強と仕事成果が循環している。紺色の空に舞うピンクの花びらが5枚あるのは、専門知識を学ぶのが楽しく、入れ込んでいること、しかもそれが天王星領域にあるので現代社会の一般常識より少し外れたものを好むことを表す。イトトンボはあの世とのつながりの暗示。
海王星領域から流れ込む滝は、直観力やファンタジックなイメージを受け入れたいことを示し、巣の材用を持つアオサギは、その海王星情報を自分なりに文章化・理論化して形にまとめたい願望を表している。



未年書初め テーマは「2003年の羊を、頭ごと捕まえる」
ストーリー:私は羊の背後から抱きつき、ふわふわの毛に顔を埋めている。「羊さん、今年よろしくね!」ぎゅうーーっと抱きしめる。抱きすくめられて羊は「うっ、ちょっと苦しいかも・・・」と感じている。
解説:動物(この場合、羊)と人物の対比、すなわち大きさや位置などの関係から、描いた人の「感情・情動」と「知性・思考・理性」の比重を見ることができる。
この絵では羊の方がサイズが大きい。羊・人物とも向かって左を向いているので自己の内面に眼が向いていることを表すが、人物の背中に生えている翼=オーラは木星(社会)、土星(人生目標)領域に広げられ、実社会の中でもしっかり自分の活動を保っていくことを示している。

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月25日 15:40