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名古屋

2005年07月06日

 先日、出張で名古屋に行った。
  名古屋はいつも新幹線で通過するばかりで、降り立つのは初めてである。最近はういろうもきしめんも、ひつまぶしさえ東京で食べられるようになったから、ことさら是が非でも食べてみたいというものもないし、必ず行ってみたいというほどの名所旧跡も自分としてはなかった。ただ市街地にほど近いこともあり、名古屋城を散歩してみようとは思っていた。
  仕事そのものは早朝から夕方までびっしり詰まっているので、前日に行って現地に泊まることにした。
  この日、駅に向かうバスに乗るまでに2つの小さなハプニングがあり、そのうち1つからはちょっとした幸運があった。「幸先良いな。ひょっとして、旅先でもちょっとしたギフトがあるかなあ」と考えたりする。
  渋谷駅に着くと、遠くからも目を引くほどの大きな声でキャーキャー騒いでいる2人の女性がいた。20代前半くらいで、1人はコスチュームを着てティッシュ配りをしており、もう1人は私服姿である。どうやら私服の女性が渋谷で降りてきたら、ティッシュの女性と偶然、久方ぶりの再会をしたらしい。「元気イ?どうしてた?」という会話がしばし続いていた。
  「うーむ、いかにも周易の『風沢中孚』らしいシーンだなあ」と感心しながらJRに乗る。
  前日までの雨模様とは一転し、久しぶりの抜けるような青空だ。これぞ待ち望んでいた秋晴れ。名古屋についてホテルにチェックイン後、早速お城へ出かけた。
  地下鉄の駅からすぐに城内敷地への門がある。そこへ歩きながら、緑の濃い広大な土地の空気を深呼吸した。気温も程よく、爽やかなそよ風もあって、大変気分が良い。
  入り口に着き、自動販売機で入場券を買おうと財布を出した時、「ちょっとちょっと、あなた、入場券を買うの?」という声が聞こえた。見ると、数メートル先の物陰から70歳くらいの老女がこちらに話しかけている。
  何事かと思っていると「私、3枚切符を持っているんだけど、1枚余ってしまったから、あげる」。この時期、敷地内で菊花人形展が開催されていたがその同好会の人たちがまとめ買いした切符らしい。無駄にするのは忍びないということで、1人での来場者を待っていたというわけである。おまけにこれには会場内の「二之丸茶屋」でのお茶券まで付いていた。
  ありがたくいただき、辞去するのと入れ替わりに、老女の友人(白髪の女性)がやってきて「ごめーん、時間間違えちゃったー」といい、2人は連れ立って入場して行った。最初の老女は友人を待ちがてら、余り券をあげる人を探していたのである。つまり私があと1分到着が遅れていたら、2人は既に中に入っており、この幸運にあずかれなかったことになる。
  「おお、やはり『思いがけぬギフトあり』だなあ」と嬉しくなった。
  平日の昼ということで、人通りは少ない。季節柄制服姿の中学生達のグループをよく目にしたが、それも本丸への通路までである。お城の更に裏手に続く緑地帯をわざわざ散歩する人はまばらであった。
  園内は様々な種類の樹木が植えられていた。その一角を通る時、かすかな甘酸っぱい香りがし、思わず立ち止まってくんくん匂いをかいでしまう。どうやら楠と松、杉の香りが相まっているらしい。付近にはまだ緑色の濃いもみじの木もあり、それが午後の陽を透かして葉の影が重なり合い、見惚れてしまうほどである。
  突き当たりのお堀端に出て下を見ると、白鳥が1羽、のんびりと泳いでいる。とその時、水面から飛び立ったばかりの鴨の群れが視界に入ってきて、私の目の前で旋回しながら高度を上げ、みるみる上空に消えていった。10羽弱ほどであったが、きれいなV字型の編隊を組んでいる。
  「あ、牡羊座サビアン『野鴨の三角飛行』だ」と思った。西洋占星術で各星座の度数ごとにサビアンシンボルというものをつける特殊な技法があるのだが、牡羊座12度にある「野鴨の三角飛行」は「人為的にどうこうしなくても自然に任せれば上手くゆく」という度数で、むろん厳密には異なるにしても周易の「天雷无妄」に似た意味合いのシンボルである。その時期、私はある物事の今後について心配していたのだが「今の路線で良い、あとは流れに任せよ」といわれたように感じ、ホッと一息ついたのであった。
  一渡り敷地内を見て回った後、茶屋に入った。10月ということで、茶菓子は柿羊羹である。程よい甘み、抹茶も渋過ぎず、結構な一服であった。
  1つだけ不可解だったのは、夢見の悪さである。ホテルは小規模ながら落ち着いた雰囲気で部屋も感じ良かったのだが・・・。滞在中、夜の睡眠の他に1-2回の仮眠も取ったのだが、そのたびに変な夢を見た。1回目は、知人が亡くなり、同僚と共にお通夜に行く夢。2回目は自分がお腹を大怪我(切創)し、倒れている夢である。ただどちらもそんなに深刻な顛末ではなかったのが救いだが。あの部屋、過去に病人でも出したのかなあ、などと考えたのであった。
(2003年10月)

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月06日 17:53

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