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なぜ学校へ行くのか

2005年07月06日

 「なんで勉強しなくちゃならないの?なんで学校に行かなくてはならないの?」子供たちはしばしば、このような問いを親に向かって発する。こう尋ねられたとき、あなたが親なら、何と答えるだろうか?
  「みんなが行くから」「義務教育だから」「高校、いや大学くらい出ておかないと就職に不利だから」などと答えるかもしれない。そういった面も確かにある。だがこれだけでは、言っている方も言われた方も、何か物足りないというか、それが本質というわけではない、と感じるのではないだろうか。
  私も数年前までは、それ以上の答えは思い描けなかった。だが最近は「自分を知るため」および「生活しやすくするため」だと、実感するようになっている。
  確かに例えば鎌倉幕府が1192年に開設されたことを暗記することが、それほどの意味を持つとは感じられない。小学生の頃、同級生と「昔のことを今更勉強したってしょうがないじゃない、ねえ」と話しあっていたことを記憶している。だがその後、歴史から学ぶとか、歴史は繰り返すということを知り、また現在の政策を理解するには過去からの経済の流れや、ある国となぜここでこういう交渉をする必要があるのかを理解するにはそれまでの歴史的関わりを知っておく必要があるなど、日常生活の中で必要とされることを知るようになった。
  また、勉強そのものの内容はその後の生活に直接関わらないとしても、自分が与えられた課題(宿題、テスト勉強など)にどのように取り組むタイプなのか、どういった科目が得意で何が苦手なのかは、やってみないとわからない。そしてそういった自分の個性は、他の同年代の人たち、即ちクラスメイトとの対比でわかってくるものである。世の中には能力も、性格も、家庭環境も価値観も、自分とは全く異なる人たちもいるのだというのは、自分の家族という、親密だが閉鎖された小集団内にいるだけではなかなかわからないことである。
  また、全てでないにしろ、やはり学校で得る知識は実生活で役に立つ。「読み書きそろばん」が江戸時代の寺子屋で教える項目だったが、そういった基本中の基本の他にも、知っているといないのでは生活上の苦労の度合いが大きく違ってくるだろうことが予測される知識は結構ある。
  例えば、なぜカビ取り洗剤と酸素系漂白剤を一緒に使ってはいけないのか。
  なぜ、濡れた手でコンセントに触れてはならないのか。
  先日昼休みの医局で、何人かでテレビを見ている時、あじさいの育て方を放映していたのだが、あじさいの花の色は、土壌がアルカリ性になるとピンク色に、酸性になると青くなるという話をしていた。リトマス試験紙と逆である。
  すると見ている1人が「鉄分の多い土地だとピンクになるというのを聞いたことがあるんだけど、本当かな?」といった。するともう1人がこのように答えたのである。「鉄は水分があるとさびやすい、つまり酸化しやすいということですよね。自分が酸化するということは、回りをアルカリ性にするということだから、鉄分の多い土だとアルカリ性になる、だからやはり、ピンクの花になるのではないですか?」。
  これも、もちろん体験的に「理由はわからんが、鉄分が多い土地だと花がピンクになる」とただ覚えることもできないことはない。だがそれだと「○○が多い場合は?△△な土地は?」といった場合に応用が利かず、いちいち丸暗記しなくてはならない。趣味のガーデニングならまだしも、農家や植木屋さんがそれでは大変だろう。
  あるいは、以下のような場合。私は先日、世間のブームから1年以上遅れてカスピ海ヨーグルトを作ったのだが、菌を繁殖させる際、乳酸菌以外の雑菌が繁殖しないよう、使用する器具や容器を熱湯消毒した。こうした時、清潔区域を守るためにどういった順番で行動すれば良いかなどは、細菌の基本性質を知っておかなくてはわからない。でないと、消毒したと思ってもムラがあって不十分だったり、せっかく消毒した場所をうっかり自分の「不潔な」(つまり、厳密な意味では滅菌できていない)手で触れてしまったり、空中の落下細菌が入り込んでいる状況に無頓着だったりして、失敗しやすくなる。
 実際、百年あまり前まで多発した「産褥熱」は、「出産直後の女性に原因不明に起こる高熱で、死亡率も高い」などといわれていたのだが、実は産婦人科医が手を消毒もせず産婦を次々と診察していくうちに細菌感染を媒介していったものであると、現在はわかっている。今から考えるととんでもないことだが、当時はまだ細菌という「目に見えない生き物」などというものは、あり得ないと考えられていたのだ。顕微鏡が開発され、19世紀後半からペストをはじめとする伝染病の正体が理解されるまで、そのような事象はしばしば見られた。
 また、義務教育とは、保護・養育者がその子供に受けさせる義務を持つ教育のことだが、これは「幼児でも労働するのが当然」で「生計の助けにもならない『勉強』などというものにうつつを抜かしているんじゃない、そんなものは贅沢」という、当時の親に、子供の「学ぶ権利」を明示したものである。当時は「学校に行かなくていい(勉強しなくていい)=働け!」だったのである。
  現在もし私が冒頭の質問をされたなら、こう答えるだろう。「その方が自分の個性を知り、回りの人を理解できやすいし、生活がしやすくなるから」と。
(2004年)

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月06日 17:36

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