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運の清算
2005年07月03日
大運(10年運)や流年(1年運)の終わりが近づいている時、その期間の自分の人生の流れがどうだったか、振り返るのは興味深い。あと3週間、2月の立春をもって暦上の新年に入るわけだが、こういう時期には前年の清算と、次年への予告的な動きが見られるようだ。
2003年は九星気学の象意でいうと九紫火星に「破れ」、また七赤金星に「暗剣」という凶意が付いている1年であった。姓名判断を習った中で「だから今年は名前に九紫や七赤の象意が入っている人は要注意」と聞いていたが、確かに今年は「紫」とか「絵」といった字がついた珍しい名前の患者さんたちが入院してきて、印象深かった。
知人で姓名に「紅」「美」と2文字、九紫の意味を持つ男性がいる。彼とは2年前からの知り合いだが、2003年に入ってからどんどん話し方がきつくなり、必ず一言余計な形容詞をつけるので「何もあんな言い方しなくても・・・」と冷や冷やしながら見ていたが、今日彼は同僚と話していて論争になり、相手は珍しく激しい反撃をしてきたため、知人はその後しばらく、めげていた。
九紫破れ+七赤暗剣により口舌問題が起きそうな年で、最後に回ってきた今月はまた更に九紫破れがついている。つまり2重に九紫に凶意が巡っている月なわけである。知人は特に去年夏くらいから口のきつさが際立ってきていたが、これでしばらく、少し気をつけるようになるのだろう。暦上来年の九紫は凶意のつかない年であるが、個人レベルではこのように「補正」がなされ、新年に向けて流れを変えていくよう、運の力が働くのだと思われる。
私自身についていえば、2002-2003年は、1992-2001年の10年間の活動の清算期であった。この清算の2年を「空亡」とか「天中殺」といい、市販本ではよく「大凶運期」と記述されているが、凶になるか吉になるかは、それまでの10年間の過ごし方次第なのである。何せ「清算期」なのだから。
奇しくも、1992年といえば、大学を卒業し、医師としての生活を始めた年であった。運の上では1992年からの10年は「印綬」つまり「お勉強、学習」がテーマである。もっとも、研修医の2年間をはじめ、前半5年ほどは、目の前のたくさんの雑用をこなすのに精一杯で、勉強というよりは肉体労働の毎日であったが、その中で実地に学ぶことの連続だったから、大枠でいえば確かに印綬ともいえるかもしれない。後半は本格的に西洋占星術を学び始め、パン教室に通い、自動車免許を取り、そしてライフシンボルおよび種々の東洋占術を勉強しに学校に通った。今から考えると、よくもまあ、次々と・・・という感があるが、全く運の流れ通りに動いてきたのだなあと知り、苦笑してしまう。
2004年2月4日をもって節入りする今年は私にとって新しい10年運の始まりであると同時に、四柱推命的には「伏吟」といって、良くも悪くも自分の特性を思い知る、という年である。果たしてどんな1年となるのか、少しドキドキしながら過ごしているところである。
(2004年1月)
書いた人 浜野ゆり : 2005年07月03日 09:40
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