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妄想かシンクロか
2005年07月03日
占いや神秘学に関わるとき、必ず課題になるのが「偶然の一致(共時性、シンクロニシティ)」である。これなくしてはまず占い(殊に卜術系)は成立しないし、占わないまでも「何となく、運の流れを感じてここまできた」という特有な感覚を受け入れられないだろう。
現代社会は占星術的にいえば山羊座世界で、「常識、理論思考、分析、理性」といった左脳機能を重んじ、右脳機能はそれに比べると「原始的」であてにならないものという観念がある。例外は音楽家、画家といった芸術系や作家のように「普通とは違う感覚」をウリにしている一部の人達だけである。
ところがそんな中、バリバリの「非常識」を後先考えずに表明してしまう人達がいる。精神科患者、特に統合失調症など、幻覚妄想を症状として持つ人達である。
だが残念なことに、彼らの症状や思考形式を神秘学や共時性の参考にはできない。それは共時性に対する誤った感覚の持ち方の典型だからである。しかるにこの社会では共時性への「正しい」認識や感覚を持っている人は稀少であるために、こうした「誤った用法例」だけを見て「ほらシンクロなんて妄想だよ」と思ってしまう。それはまるで、自動車の悲惨な事故を見た人が「車なんて凶器だ、禁止すべきものだ」というくらい、実はナンセンスである。だがそれにはまず、妄想とそうでない共時性への認識の違いを知らない限りはわからないことだろう。
妄想と、正しい認識の違いは何であろうか。それは共時的と感じられる事象と自分の間に心理的距離を保てるか、である。妄想モードにあるとき、対象となる事象は自分に差し迫り、ほとんどの場合強い不安や恐怖感をもたらす。少し意味合いは異なるが、健常人でこれと近い体験は「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の前半部分である。暗闇の中、向こうでゆらゆらしている白い影を見てギョッとする。あの瞬間の、心臓を掴まれるような非常な不安感の中に、妄想モードの患者は居る。自分は外界の何者かに監視され、逃れられないと感じる。これはものすごい恐怖である。
それに対して健常人が正しく共時性を認識する時には、事象と自分の関係をある程度客観視できている。「おお、これって自分が考えていたことへの答えかなー。だと勇気付けられるなあ。でももしそうなら、具体的にはどうやって計画に移そうか・・・」と現実面での行動を算段し始めたり「自分の都合よく受け取りすぎているかな?この時期この場所へくれば、こういう事象を目にする確率は結構あるのだし」等と検討する。つまりは「シンクロニシティかも知れないが、そうでないかも知れない」といった、修正余地が残されている。妄想は「絶対そうだ!間違いない!!」という違いがある。これは実は、「妄想は訂正不能」である、という「妄想」の精神医学的定義そのものなのである。
だが日常の中で偶然の一致(あるいはそう思われるもの)を経験した時、それが自分にとって意味があることなのか、それとも単なる自分の希望的関連付けなのか、区別するのが難しいこともある。かつて私もユング心理学を勉強し始めた頃、「シンクロ」が多発し、というより毎日余りにも幾つも続くので「これって、自分が気にするから、これまでと同じ経験をしていてもいちいちシンクロのように感じるのではないか?」と疑問に思い、一旦この考えを破棄してしまった経緯がある。この頃ちょうど西洋占星術の体系に触れ、その妥当性に感心して勉強を始めたけれども、タロット等の卜術は信用できなかった。「たまたま繰るカードで、なぜ占えるのか。その場その場で結果が適当に変わる、安定性のないものは信用できない。それに比べ、ホロスコープ(星図)はいつも一定のシステムで動いていて・・・」と感じていた。だが後にもっと勉強してからよく考えたら、そもそも占星術だって、惑星の動きと地上の事象、個人の生活がリンクするという前提に立っており、これを肯定するには共時性や相似性といった概念なしには成立しないのである。
「シンクロニシティは『起こる』のではなく『気づく』ものである。シンクロは常に起こっているのだ」とある先生に聞いたが、おそらくそうなのだろうなと思う。私自身のこれまでの経験では、正しくシンクロニシティのサインを認識した時には、物事がスムースに流れ、環境に邪魔されることが少ない。それに1つの方向性、行動方針に沿って進むように繰り返し導かれるので、1度や2度「見誤ったり」「見落としたり」しても挽回できるようになっている。運命の神は、結構心優しいのである。
(2004年)
書いた人 浜野ゆり : 2005年07月03日 09:12
この記事へのコメント
コメント、どうもありがとうございます!
お役に立てたようで、本当に嬉しいです。
「観察自我の有無」…確かにその通りですね!これまで体験的に感じていたことをぎゅっと一言に表していて、何だかスッキリしました(笑)。
またいろいろとお話できることを楽しみにしております。
書いた人 浜野ゆり : 2005年10月03日 13:58
こんにちは、太陽と月の家です。
いつもとても勉強になる内容、どうもありがとうございます!
「正しく共時性を認識する時には事象と自分の関係をある程度客観視できている」とのご見解、なるほど、なるほど~と納得しながら拝見しました。
この問題に類することを別の場所で学んだとき、「観察自我の有無」が判別のポイントになるということを教わったのですが、通じる部分があるように思われました。
そして…
>シンクロニシティは『起こる』のではなく『気づく』ものである。
との言葉も、印象的です!
13の月の暦に関心があり一度だけ勉強会に行ったんですが、その時もそのような言葉を聞き、ストンと自分の中に落ちた新鮮な感覚を思い出しました。
書いた人 太陽と月の家 : 2005年10月03日 10:49