虫愛ずる・・・
2005年07月01日
元来私は自分を動植物好きな、自然愛好家だと思っていた。
小学生時、両親の仕事でアメリカに3年間暮らしていた。東北部の州の片田舎、大学町だが亜寒帯性気候で、1年の半分近くは雪に埋もれて過ごした。2階建てのアパートが立ち並ぶすぐ近くまで林が迫り、毎日野生動物たちの鳴き声や生活音と一緒の暮らしであった。そのアパート街から大人たちは大学(及びその付属施設)に車で出かけ、私たち子供も毎朝・夕、スクールバスに乗って街中の学校に通った。
ある夕方、学校から帰って来ると、1階のベランダに植えたヤグルマギクの花がほとんど摘み取られ、近くに花弁がばらばらになって散っているのを見つけた。「まあ、近くのいたずらっ子たちの仕業かしら。酷いことをするねえ」と母は心を痛めた。だが、数日後に「犯行現場」を目撃する機会があり、私たちは笑ってしまった。
シマリスが、辺りを窺いながらベランダにやって来た。しばらく、自分よりはるかに高いところにあるヤグルマギクの蕾を見上げていたかと思うと、突然ジャンプした。勢い余って向こう側に倒れこみながらも、口にはしっかり蕾をくわえている。そしておもむろに花びらをむしり、中身を食べたのである。
「いやあ、あんなに高い所にあるものを取るとは思わなかったよ」と母は驚き、「そんなにお腹が空いているなら」と次の週末、ベランダに殻つきピーナツを置いてみた。しばらくすると、来た来た。シマリスはピーナツに気づくと、殻のまま、両の頬袋に詰め込み始めた。はじめの1個は良いのだが2個目、3個目になると入りきらず、いろんな向きで入れ直しを試みるのだがうまくいかない。とうとう殻の先が口からはみ出たまま、巣穴に戻るべく走り去った。
これを木の梢から見ていたのが青カケスである。彼はもともとベランダに来慣れていないためピーナツの側に来てもしばらくは辺りを警戒して見回していたが、やがてサッと1個をつまむと飛び去って行った。
その後はシマリスとカケスが交互にピーナツを取りに来た。カケスも徐々に度胸が出てきたのか、ピーナツをくわえ比べて大きい方を選んだり、同時にシマリスが来ると威嚇して追い払おうとしたりする姿が見られるようになった。
とうとう最後の1個になった。シマリスが持ち帰った後やってきたカケスは、もはやないことに気づいて怒ったらしく、芝生の隅にあるシマリスの巣穴にまで押しかけて行き、顔を出した主と「怒鳴りあい」の喧嘩をするという一幕も見られた。
その他にも、毎日が豊かな自然の中の生活であった。春にはアパート街の中にまでマガモたちが入りこんできた。「ガア、ガア」と鳴き声がするので何かと思い見に行くと、1羽のメスの後ろを3羽のオスがついて歩いている。どうやら皆メスに求愛していて、互いに一生懸命走っているつもりらしいが、いかんせん体型が陸上向きではないのでまるでお尻を振ってのパレードであった。夏には広大なトウモロコシ畑がかくれんぼの場所になった。夢中で隠れすぎて、自分の方が迷子になりかけ、冷やりとしたこともある。秋には林の中で野生のブラックベリーなど、木の実のなっている所を見つけては、「友達との秘密の場所」と決め、放課後に摘みに行ったり、親に叱られた時の逃げ込み場所にした。冬は1メートルを越える雪が積もったが、セントラルヒーティングの家とふかふかの防寒着のおかげで辛くはなかった。近くの丘で母や弟と一緒に橇に乗ったり、雪だるまを作ったりした。また、朝起きると、夜中にアパートの近くを歩いたリスや野ウサギの独特の足跡を見つけては面白がったものである。
やがて日本に戻り、地方都市の都心部で長く生活したが、ここでも動植物――この頃は特に昆虫――に夢中になった。放課後や休日はトンボやチョウ、セミなどを追いかけて公園を虫取り網片手に走り回り、家ではスズムシやカブトムシを幼虫から育てた。公園の地面に顔を寄せて蟻の巣を掘り起こしたり、コオロギの鳴き声からあたりをつけて石をひっくり返したらハサミムシが出てきて仰天したし、近くの川原に下りては蟹やフナムシを手づかみした。冬にカマキリの卵のうを見つけたときは飛び上がって喜び、家に持って帰って「早く春になって孵化しないかなあ」と待ち遠しく思っていたところ、屋内の暖房のために卵が早く孵り過ぎて慌てたこともある。また小学校で教材として皆でヘチマを育てていたときに、花にチョウが来たので担任の先生が「このチョウは何ていうのかな?虫博士の浜野さんに聞いてみよう」とクラスメートの前で私を立ててくれたので得意になり、「イチモンジセセリです!」と小鼻を膨らませて答えたのを今でも覚えている。
昆虫に比べると、植物への興味は通り一編であった。それでも今から思えば、母の「自然教育」は後の私に大きな影響を与えた。週末一緒に買い物に行く際、途中の公園で母は必ず立ち止まっては「あ、ハナミズキがもう咲いてるよ。ほら、可愛い花だねえ……」と木の枝を私の方に引っ張って見せた。「この辺いっぱい、ハコベのお花が、ほら」「ユキヤナギが満開だよ!」とそのたびにしゃがみこんだり、花の中に顔を埋め、私にも促した。最初の頃私は「いちいちそんな道草してないで、さっさと買い物に行こうよ」と文句を言ったものだが、いつしかそれが私自身の行動パターンになった。母はおそらく「情操教育をしよう」とか「エコロジーな考えに親しませよう」と思ってそういうことをしたのではあるまい。ただ好きでそうしたのだろう。
現在の私もそうだ。今は都心の住宅街に住んでいるが、通勤途中やちょっと出かけるとき、公園や付近の家の植え込みに花が咲いているのを見つけると黙って見過ごせない。春なら一斉に咲いたツツジとコデマリ、梅雨時ならアジサイ。……冬の寒さがまだ厳しく身の周りを締めている時にふと漂ってくるジンチョウゲの甘い香りにはっとし、もう春がそこまで来ているのを知る。夏の気だるい暑さから徐々に肌にひんやりした風が当たり始める頃にキンモクセイの香りと色に触れ、じきに秋が深まることに気づく。そんなとき、思わずその花に歩み寄り、花に顔を埋めてしまう。しかし同じことをする他人を見かけたことがない。「私って変なことをしているのかしら?」とふと思うこともあるが、この癖はどうも止められそうもない。
だがそういいつつも、この2,3年、私はこの東京都心での生活がすっかり気に入ってしまった。かつて地元にいたころは「家賃をはじめ物価はばか高いし、どこに行くにも混んでるし、いちいち電車に乗らなければならないし、東京は人の住む所ではないよねえ」と家族と頷きあっていたのに、東京の文化・芸術・娯楽の多様さにすっかり惚れこんでしまった。しかし私は転勤族、いつかは異動になるだろう。その時、また現地の自然の中で落ち着いて過ごせるだろうか。すっかり東京生活を享受してしまった私は、ちょっぴり不安なのである。
(2001年)
書いた人 浜野ゆり : 2005年07月01日 22:17
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