« 女一人の居酒屋 | トップページへ | 虫愛ずる・・・ »

ざらめ煎餅

2005年07月01日

 スーパーの一角の棚で、それを見つけた。
 箱に入った、きつね色のビスケット地に白い結晶が沢山ついたお菓子。形は少々違うが、日本のざらめ煎餅(せんべい)によく似ている。
 母親にせがんで、そのお菓子を1箱、ショッピングカートに乗せてもらった。アメリカのものは、何もかも大きい。スーパーの建物内部も倉庫のように巨大だが、週末にまとめ買いするためショッピングカートも日本のものの3倍ぐらいある。パッケージもガロンとかクオートとか、やたら大ぶり、そしてそれらを求めて歩き回る人たちも、縦のみならず横にも大きい。
 両親の仕事で北アメリカの片田舎の町にやって来て最初の週末であった。肉とバターがこってりの地元料理にも、小学校に上がらんとする子供の私はあっという間に慣れたが、時には食べなれた駄菓子を口にしたくなる日もあった。そんな時に見つけた一箱であった。
 帰宅すると母親を手伝って他の食品を戸棚にしまうのももどかしく、早速私は「ざらめ」の箱を開け、1つ口に頬張った。
「…!」
 衝撃が走った。口の中いっぱいに、塩の味が広がっていく。そう、砂糖とばかり思い込んでいたのは、大きな塩の結晶だったのだ。まさか、塩を表面にまぶすとは…日本の「常識」からは考えられないお菓子の味付けだった。後にそれはプレッツェルというアメリカではごくポピュラーなスナック菓子であることを知るのだが、そして今日では日本のデパートやパン屋でさえ見かけるものになったのだが、1970年代当時では知る由もなかった。私は子供心の期待を砕かれて、自分の上半身くらいもあるかと思われる大きなプレッツェルの箱を恨めしげに眺めた。
 「気に入らなくても、そんなにあるんだから捨ててはだめよ」と母親が言った。私は困ったが、やがて転校先で親しい友人が出来たとき、プレッツェルなるものが好きか、恐る恐る切り出した。「大好きよ! あるの?」と彼女は目を輝かせ、いそいそと私の家について来た。
 こうして無事プレッツェルは処分できたが、その後もさまざまな未知の味に遭遇した。大概の料理や食材には違和感なく、2年の滞在期間中に日本食が恋しくなったことはなかったが、子供だったためかお菓子にまつわる苦い思い出は多い。アニスというハーブの香りをつけたゴム状の「リコリス」、これも香草を由来とする香料を混ぜたコーラ様の飲み物である「ルートビア」など、独特の癖のあるものが沢山あった。
 異文化の味――成人なら料理や食材、地酒などだろうが、子供にとってはお菓子こそが最上の価値、ということを、「味の思い出」を手繰り寄せながら気づいたのだった。

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月01日 22:14

この記事へのコメント